Wisdom

2015年3月 4日 (水)

もう歳だから、なんて言わせない - Jamais trop vieux.

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神さまのことなら、みんながみんな信じてるわけじゃないけど、老いのこととなると、みんな当然のことのように信じて疑わない...だけどどうして世の中には、人より早く老けてしまう人と、そうでない人がいるんだろう?若いうちから消耗して、年齢っていう病を背負って生きてるような人がいる一方、歳を重ねても溌剌としたままの人がいるのはなぜ?

年齢とは現実、誰もがそう思ってる。時間というのは科学的に実存しないことは理解できても、年齢は存在するという考えからは離れることができないんだ。だけど現実の中には、「物事をじっくり考えさせてくれる現実」というのもある。たとえば1750年のフランスの平均余命、何歳だと思う?

男性27歳、女性28歳。それが現在のフランスでは、男性は78歳、女性は85歳にまで延びている。ほとんど3倍というから驚きでしょ?こんなに劇的な変化は、人間以外の生物には存在しない。

何が原因で人は老いるのか、その答えは人々が発する言葉に耳を傾ければ見えてくる。年齢や老いのことなど決して口にしない人がいると思えば、いつだって年数を数えて自分が歳をとるのを嘆いてばかりの人もいる。老いて行くのに応じた人生のプランニングに精を出すなんて人も。彼らにとって冒険はだいたい60代でおしまいで、あとは引退。しかも仕事のではなく、人生からの引退だ。大きな夢を描くことはもうしない、未来にはもっと素晴らしいことが待ってるなんて考えも、どこかに消えちゃった。彼らにとって最高の時間や物事はぜんぶ、過ぎ去った日々のもの...

ところが、人生は常に前進するもの。脳細胞を健康な状態に保つには常に新しい情報が必要だという研究報告もある。つまり僕たちの体の中のものは全て、情報から栄養を得てるんだ。期限切れの情報は体に毒だし、新鮮な情報はエネルギーシステムにきれいな酸素を運んでくれる。だから何か新しいことを見つけたりチャレンジするのをやめてしまったとき、僕たちの体は自家中毒みたいな不調に陥ってしまう。

それと、老いの要因の中で最も決定的なのが、肉体と魅力に関連した事柄だ。自分の魅力で誰かを惹きつける喜びを失ってしまったら、男性にとっても女性にとっても危険信号。分別がついたなんて自分に言い訳はできるけど、それは違って、単なる妥協。そうした状態から、ホルモンは身体の意識の中で、男あるいは女であるという感覚をだんだん薄めてニュートラルなものにしてしまう。中性化という現象だ。

この中性化に伴って引き起こされるのが、身体的な触れ合いの欠如という問題。いわゆる「歳をとった」人々の多くが、そうした接触を持たないまま人生を終えてしまう。だからこそ治療にマッサージを採り入れる医師もいる。だけどプロが行うマッサージも「愛による」マッサージの代わりにはならない。

ここで考えなくちゃいけなのは、年齢というこの問題、もっぱら頭の中で起きているわけで、宿命などではないということ。だったらもっとクリエイティブなやり方で、年齢のことをあれこれ考えることだってできるはずだ。みんなが信じてることだからって右へ倣えする必要はない。逆に僕たちひとりひとりが生きる実験室となって、いろんな経験を生み出せばいい。平均余命が300年でこれほどまでに延びたとすれば、いちばん大きな進化は過去100年の間に起きている。進化の勢いは今も続いているわけで、僕たちはその恩恵をありがたく頂戴すればいい。そのためにはまず知っておこう。人は長く生きれば生きるほど、経験も情報も豊かになるっていうことを…いちばん大切なのは、このデータベースを上手に活用して、あらゆる観点から見て、より生き生きとした、より豊かな人間になることなんだ。

Translation Yoko Usui

Tout le monde ne croit pas en Dieu mais pratiquement tout le monde est d’accord pour croire à la vieillesse…Et pourtant…Pourquoi y a t’il des gens qui vieillissent plus vite que d’autres? Pourquoi certains vont-ils jusqu’à un âge avancé tout en restant en pleine forme alors que d’autres meurent plus jeunes et semblent accumuler les maladies de l’âge.

En fait tout le monde pense que l’âge est une réalité. On a beau savoir que scientifiquement le temps n’existe pas, on s’obstine à croire que l’âge existe. Il y a pourtant des « réalités qui devraient nous faire réfléchir ». Savez-vous quelle était l’espérance de vie moyenne en France en 1750?

27 ans pour les hommes et 28 ans pour les femmes. Alors qu’aujourd’hui, dans ce même pays elle est de 78 ans pour les hommes et 85 ans pour les femmes. N’est-ce pas surprenant? Presque trois fois plus. C’est une évolution qui n’existe chez aucune autre espèce vivante.

Pour découvrir ce qui fait vieillir il suffit d’écouter les paroles des gens. Certains ne parlent jamais de l’âge et du vieillissement et certains autres passent leur temps à compter les années et à se plaindre de vieillir. Certains passent aussi leur temps à planifier leur vie en fonction de la vieillesse. Pour eux, vers la soixantaine l’aventure est terminée. Ils prennent leur retraite. Pas la retraite du travail, la retraite de la vie. Ils cessent de faire de grands rêves, d’imaginer que l’avenir leur réserve encore le meilleur. Pour eux, le meilleur est derrière…

Or, la vie va toujours de l’avant et des études ont montré que les cellules du cerveau ont toujours besoin d’informations nouvelles pour rester en bonne santé. Tout dans notre corps se nourrit d’information. Une information périmée est toxique. L’information nouvelle c’est l’oxygène de notre système énergétique. Donc lorsqu’on cesse de se fixer des challenges, lorsqu’on cesse de découvrir des choses nouvelles, notre organisme s’intoxique.

Et parmi les facteurs de vieillissement, il y en a un qui est déterminant, c’est le rapport au corps et à la séduction. Lorsqu’on perd le plaisir de séduire, que l’on soit un homme ou une femme, on est mal parti. On peut se consoler en disant que c’est l’arrivée de la sagesse. En fait non, c’est de la capitulation. A partir de là, le système hormonal neutralise dans la conscience du corps le sentiment d’être un homme ou une femme. C’est la neutralité.

Ce qui accompagne cette neutralité c’est l’absence de contact physique. Beaucoup de personnes dites « âgées » finissent leur vie sans contacts physiques. c’est la raison pour laquelle certains médecins prescrivent des massages. Mais les massages professionnels ne remplacent pas les massages « affectifs ».

En fait, ce qu’il faut voir, c’est que cette question d’âge se passe surtout dans la tête et que ce n’est pas une fatalité. On peut imaginer l’âge de beaucoup d’autres manières bien plus créatives. On n’est pas obligé de s’aligner sur les croyances collectives, au contraire, chacun d’entre-nous est une expérience, un laboratoire vivant. Si l’espérance de vie a pu enregistrer une telle évolution en 300 ans il faut voir que le plus grand progrès a été fait au cours des 100 dernières années. Or comme l’évolution s’accélère, autant en profiter en commençant par réaliser que plus on vit et plus on possède d’expériences et d’informations…Le tout c’est de réussir à utiliser toute cette base de données pour devenir encore plus vivant et plus riche à tous les points de vue.

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2012年6月18日 (月)

魂のセルフクリーニング

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 “環境破壊と闘おう”といった言葉をよく耳にするよね。地球にやさしくとか、自然を大切にとか、オーガニックにこだわろうとか。だけどちゃんと自覚した上でそうした言葉を唱えている人って、実はいないのかもしれない。そういった、自分たちが信じる正義のための運動もまた、一種のジハード、つまり善悪を盾にとった新種の“聖戦”だということを。「剣によって生きたものは、剣によって滅びるであろう...」時代が移り、その形は違っても、僕たちは変わらず剣で命を落とし続けている。つまり、自分たちの思い込みとそこから生じる争いにまみれたまま死んで行く...環境破壊の本当の原因はそこにあるんじゃないかな。他のどこでもない、僕たちの頭の中に。なぜなら外の世界で見えていることは何だって、いちばんはじめは僕たち自身の中で生まれたことだから。僕たちの頭や心の中で“思い”という形から始まっているんだ。ひとつの例外もなく。

 新約聖書は、その上に擦り付けられた垢みたいなものをきれいに取り除いてやると、航海のための最良の道具になるのだけど、その中ではいちばん厄介な“罪”とは“魂に対する罪”だとされている。この考えは、思い込みというものの作用をよく物語っていると思う。僕たちは一人ひとりがそこに、“時空”すなわち“魂”に他ならない無垢で創造性豊かな“神殿のような空間”の中心にいて、自分たちの二元性とそこから生じるあらゆる裁きによってそれを汚してしまっている。

 “魂は、あなたがその中に入ったときに出会ったままの状態にしておきなさい”従うべきはこの言葉。“神さま”と称される“原理”にとって、僕たちがやったつもり、あるいはやっていないつもりのことなどどうだっていいんだ。世界は“純粋”な状態より他に、よりよく機能することなど決してないのだから。純粋とはつまり、どんな立場もとらないゼロという明瞭な状態のこと。“罪”とは単なる“過ち”。倫理的ではなく、あくまで“科学的”な意味としてね。要するに魂に対する過ちとは、魂の法則の間違った使い方をしてしまうことで、だから自ずと痛みを負ってしまう。そうした意味で“魂に対する罪”は厄介なんだ。もしも僕がハンマーを握って自分で自分の頭を叩いたら、僕は自分でそれをやめるまでずっと、痛い思いをし続けなくちゃいけない。どんな言葉で祈ろうと、痛みを止める方法に自分で気づかない限り、何も変わらない...

じゃあいったい、どうすればいい?
1)たった一つの本当の“汚染”は、自分の中にある。他のどこにでもなく。まずはそこを理解しよう。
2)世界はただ、自分の中にあるものを映しているだけ。そのことを知っておく。そうすることで、自分が魂の“法則”の使い方を誤ったとき、それに気づくことができる。
3)違和感のようなものを覚えたらそれは、魂を本来のあり方とは違う方法で使ってしまっているせい。それに気づいたら、あとは原因である汚れを取り除けばいい。
4)魂には本来、自浄作用が備わっている。だから自分の“主義主張”とやらを手放すだけで、薄汚れた理念はひとりでに消え去ってきれいになる。
5)“神さま”のために考えるのはやめて、神さまに自分たちのために考えてもらう。つまり「わたしは何もしらないし、あえてわかろうともしない」という立場をとる。そして“管制塔”の指示に耳を傾けよう...

 とにかく、どんな思想も世界をどうにかしたいという欲求も入っていない、空白の心を持ち続けることが秘訣。精神を穏やかに、オープンに保つこと。余計なものは要らない、錆びついた車のフレームも、プラスチックボトルも、ピクニックの食べ残しも、撲滅キャンペーンも、疑問も...何にも汚されていない、全てを受け入れる無限の広がりだけがあればいい...“インスピレーション”を受け止めることができるのは、ただ、その中でだけだから...

(Translation Y.Usui)

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2012年1月 2日 (月)

The Present, the Shrimps and the garlic Mayonnaise.../現在と、海老と、ガーリックマヨネーズと

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This morning, during breakfast, We were talking with Yuri about my last post on this blog and explaining to her more in details about my New Year's message for 2012. Let me share with you some of the ideas that came out.

1) In reality, we have no choice, we always live in the present! Even if we are thinking of the future or the past we are in the present...And for the universe, that is completely equal... I can be sitting at a table with a very good dinner in front of me and thinking about a dinner I had last year which looked much better...for the universe it does not change anything...the only change is about my experience : "Do I enjoy the present or do I prefer to cover it with my memories and miss its actual possibilities?"

2) So the interesting aspect of this is :

As I keep as much as possible in the present I stay open to more opportunities and potentials : When we live fully in this "out of time" we call "present" we have access to all possible pasts, all possibles presents, all possible futures...we are in the eternal NOW of Life...

Practically it means that we can experience much more creative scenarios...Let's take an example. For New Year, my mother got a big bag of shrimps. All those years, feeling too busy, she had almost stopped to cook...She was wondering what to do with all those shrimps.

In front of this simple situation, if we stay in the present we have millions of scenarios possible. One of them is the last time Yuri and I had shrimps in Tokyo with a garlic mayonnaise. The other one is the last time Yuri and I tasted the Delicious garlic mayonnaise called "Aïoli" made by my Mom...This experience was in 2005...we had it with boiled potatoes...Since then Mom slowly by slowly almost gave up cooking...

So l said to Mom, "Why don't we boil potatoes and shrimps and have it with this delicious Aïoli you used to make...You also could teach Yuri how to do it". Mom answered that she did not remember how to make it... I suggested : "Just start and things will flow...".

So here we are in the kitchen with the eggs, vinegar, garlic, salt and salad oil. A pot of salted water on the gas range. A few minutes later potatoes, shrimp and everything is set...And Yuri knows everything about the technique.

The result was simple, but absolutely delicious. Mom herself felt impressed...: "Only 15 minutes to make such a delicious meal!...I will do it again more often!..."

It may not always look as simple as this to "Cook our life" but understanding how staying "Present" means staying "Open" can help us get the inspiration for creative solutions...

今朝朝食の時に、ユリに前回投稿した記事のことを話してね、2012年新年のメッセージについてもう少し詳しく説明したんだ。その時出たアイディアのいくつかを紹介しよう。

1. 事実、僕たちに選択肢はない。いつも“今”を生きている。
未来のことを考えようと、過去のことを考えようと、僕たちは今にいるんだ。宇宙にとって、それはもうカンペキ平等なこと。僕は目の前の美味しそうなディナーを前に、これよりもっと美味しそうだった昨年のディナーのことを考えながら席につくことができる。でもだからといって宇宙がなにかを変えることはできない。変わるのは、僕の経験だけ。“僕は今を楽しむ?それとも思い出に浸って、今ある可能性を逃してしまう?”

2. これの興味深い点:現在にしっかりと存在すればするほど、より多くの機会や可能性に自分をさらすことができる。
この、僕たちが“現在”と呼んでいる“時間外”にどっぷり生きる時、可能な限りのあらゆる過去、現在、未来へのアクセスを持つことができる。ライフの無限の今にいるのだから。

実際、もっとクリエイティブなシナリオを経験することができるんだ。ちょっと例をあげてみるよ。
新年、僕の母が袋一杯の海老を手に入れた。だけど、母は最近ずっと忙しくて、もうほとんど料理をしなくなっていてね、この海老をどうしたらいいか途方にくれていたんだ。

このシンプルな状況を前に、僕たちがもし現在にとどまれば、何百万というシナリオを持つ事ができる。そのひとつが、東京でユリと一緒に食べた最後のエビのガーリックマヨネーズ。もうひとつは、ユリと一緒に味わった、母が作った“アイオリ”と呼ぶ美味しいガーリックマヨネーズ。あれは2005年だったかな。それをゆでたジャガイモと一緒に食べたんだ。あれ以来、母は少しずつ料理をしなくなった。

それで僕は母にこういったんだ。“ポテトと海老をゆでて、母さんが昔良く作ってくれた美味しいアイオリと一緒に食べたらどうだろう?そうれば、ユリに作り方を教えてあげることもできるしさ”。
そしたら母は、作り方を覚えていないって言うんだ。だから“まあ、流れにまかせてやってみよう”と提案してみた。

さて、僕たちはキッチンで卵、ビネガー、ガーリック、塩、サラダオイルを準備した。ガスレンジの上のポットには塩の入った水。数分後、ポテト、海老とすべてが揃った。ユリも作り方を学べたしね。

結果、とってもシンプルなのにすごく美味しいものができた。母は自分でびっくりしていたよ。“こんなおいしい料理がたった15分よ!これからはもっと作ってみるわ”と。

まあ、ライフを料理することは、こんな風にいつもシンプルってわけじゃないかもしれないけどね。“現在”をしっかり生きるってことは、可能性に自分をさらすってことだということを忘れないでね。そうすれば創造的な解決の糸口をきっと得られるから。

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2011年12月13日 (火)

目覚めた夢、目覚めの夢

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たとえば眠りとは
つかまっていたものから手を放した状態
落ちるがまま
行くがままに身をまかせるだけ
コントロールなんてしなくていい...

あまりに疲れていて
物事とも、人とも、状況とも
これ以上闘ってはいられない
そんなとき
眠りは逃げ場
眠りはだれもが訪れることのできる場所

眠っているときは
なにもしない
“なすがまま”、それだけ
なのに、それでも物事は起こる
眠っている間にも
自然に...

それじゃあ眠りから
ヒントをもらうのはどう?
眠りと同じ、力の抜けた自然な状態でできることを
目覚めているときにもやってみれば?

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2011年12月 8日 (木)

映し出されるものの役目...

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映し出されるものの役目はなに?

何かの姿を送り返すこと

その目的は?

ある瞬間に

それを見て判断できるようにすること



映し出されるものはなに?

わたしの内なる世界

それは、わたしの作品

ひとつひとつの像が“わたしの”思いを映す

ひたすらにわたしの思いを

わたしの判断を映す

この世界はさしずめアートギャラリー

リアルタイムで作品を鑑賞できる

わたしたちが集団で経験する世界は

“互いに寄り添うサロン”のようなもの

集団の想像世界の壁に

わたしは新たな作品を、次から次へと展示する

作品はそれを見た全ての人たちの間で、すぐさま無意識のうちに共有され

集団の意識はその作品が加わることによって、自動的に変化する

そして、映し出される世界も変わる...



自分が掲げた作品が、もうそこに存在する理由がなくなったと判断したとき

わたしはいつでも、その作品を引っ込めることができる

そしてそのこともまた、世界を変える



世界から見えるものが

自分に合っていないと感じたら、それは

いくつかの作品を外したほうがいいという合図

自分の頭の中にあることが

予期せぬ形で外へと映し出されたときに

それに気づくための簡単な方法



たとえば

世界中の飢餓をなくそうというキャンペーン

効果は裏目に出てしまい

結局、飢餓はなくならず、増え続けていく

同じように

癌との闘いや“検診の無理強い”は

その“想像上の怪物”を増殖させ

意識の中にしっかりと

居座らせてしまう

例えて言うなら

“地獄への道には

良識という名の石畳が敷かれている”...



わたしの世界の調和をかき乱し

わたしの平和を脅かす考え

それを“つきとめる”ための手がかりは?

それは、わたしが見ている現実

外に映し出されるその現実が

恐怖と呼ばれるものと、関係があるかどうかを見極めること

どんなにささいであろうとも、恐れとつながりのあるものは全て

わたしの中の思い込みを映し出している

そして、わたしはそこから離れなければいけない



どうやって?

ただわかればいいだけ

わたしにはもう、それが必要ないことを

わたしの世界に、その居場所はもうないことを

同じように、どんなにぞっとする見かけであろうと

それもまた影でしかないとわかりさえすれば

恐れに対して人が抱く、架空の力も

簡単に失わせることができる

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2011年12月 5日 (月)

裁きの終わり...

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空っぽのスクリーン
わたしの意識
いつでもついたままのスクリーン...
スクリーン?
伝えるつもりの
本当はなんにも...
だけどずっと灯りはついたまま
平和
どんなものにも左右されない平和
ただ平和だけがそこに広がる
遮るものが
なにもない限り...
スクリーンにはほんとうは何だって映り得る
そしていつでも平和が

「わたしは世界を裁くために来たのではない
救うために来たのです」
イエスのこの言葉は
そのまま“わたし”の言葉...
特別な誰かだけのものじゃなく
ひとりひとりの心の中にある
隠された真実のように
“わたし”と名のれる者は誰だって
この役割を担っている
世界を救う使命を...
どうやって?
裁きをしないという神業を
成功させることで
きっぱりと永遠に...
来るものを来るがままに
ただ受けとめ
迎え入れることで...
わたしは用意ができているかな?
どれだけの時間スクリーンをまっさらにしておける?
全てを受けとめ迎え入れられるように...
細かいことはいい!始めよう...

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2011年11月23日 (水)

Message about worries.../不安に関するメッセージ

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"Do not worry, you are at the right place to be now for you and for the Universe,
Stop judging yourself, Life is about Buoyancy and buoyancy is about letting things happen naturally, without resistance...

Things may look difficult around. Thinking about the future may worry you...You already know that what we call "future" does not exist...Time is an illusion and what we consider as"now" is the only reality...It can be only experienced through BEING FULLY in whatevever situation we are in and keeping FAITH in the perfect wisdom of the FLOW.

The period we are in now on this planet  is about letting go of all, what is expressed as "I die daily"...
the busses of the Universe are waiting for entire nations to find the way back home...Beyond tsunamis, tornadoes, worries and economic concerns...
Don't loose time worrying more,
step in the bus of the NOW, the driver is waiting...

We can take this "dying" as a painful process if we keep holding to our attachments
or we can experience it as a liberation if we accept the freedom of total detachment...

Our everyday life with the apparent challenges appearing on our way constitute the only place where we are supposed to be,...There is no escape and no use to look for shortcuts.
Challenges are the gift of our true presence.As a loving Teacher, Life sends us exactly the situations we need, the people we need,...when we exactly need it...
It is called "Timing"...
We should stay open to it and receptive even if it looks like obstacles, enemies or frustrations...

When we stay open, we see through appearances,
we directly reach the beauty and the truth of the permanence of the deep ocean
under the waves of our journey...

We are not supposed to fight, resist or worry
saying "yes" and "Thank you" to all that is
will help us keep in mind
that anyway,
making it difficult or not,
we are safe.
Because there is no "outside" the ONE...

心配しないで。あなたが今立っている所は、あなたにとっても宇宙にとっても正しい場所なんだ。自分に評価を与えるのはやめよう。ライフは上昇中。自然のなすがまま、何も抵抗しないでいればいい。世の中は小難しく見えるかもしれない。未来を考えると心配になるかもしれないね。だけど知っているよね?僕たちが未来と呼んでいるものはここには存在しない。時間は幻であり、”今”と見なされているものだけが現実なんだよ。僕たちがどんな状況にいようと、精一杯生きることによってのみ経験できる現実。フローの完璧なる智慧の中に、真理を持ち続けよう。
僕たちのいるこの惑星は今、すべてを手放す時期にある。”僕は毎日死んでいる”とでも言おうかな。宇宙のバスは、家に帰る道を見つけるために世界中の国々を待っているんだ。津波や竜巻、不安や経済状況を飛び越えよう。これ以上心配に時間を費やすのはやめて、"今”のバスに乗ろう。運転手は待っている。
もしすべてをずっと持ち続けるのなら、この"死”を苦しみのプロセスとしてとらえることになる。僕たちが離れて行く自由を受け入れるなら、解放となる。
行く手にせまる困難を抱えた毎日は、想定されたものなんだ。逃げ場はない、近道の方法もない。困難とは、本来の僕たちの存在への贈りもの。慈愛ある先生として、ライフは僕たちに今必要な状況や人をきっちりと送っているんだ。”タイミング”というのは、それがちょうど必要な時ってことを言うんだよ。
僕たちは心を開き、敵に見えようと、障害に思えようと、フラストレーションに感じようと、それを受け入れよう。
心を開いていれば、外観に現れるものを超え、旅路の波の下に存在する深海の永遠の美しさと真実に、直に到達するだろう。

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2011年11月22日 (火)

期待をしない

期待はどれも夢から出てくるもの

幻想とさまよいに

わたしたちを縛りつける

期待を持たずに生きれば

世界の構想が

自然に広がる

リズムにのって動き出す

わたしたちの仕事はただ

あらゆる行為を通して、生を流れさせること

完璧な公正さの中から生まれ出るものを

ただ見守ること...

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2011年10月23日 (日)

Knowing or not knowing.../知るべきか、知らずべきか

 

Not knowing anything

is the best way to truly know,

because being void of all knowledge

keeps us open

to the newness of the present experience...

なにも知らないってことは、

本当に知るための最高の手段。

知識という知識にとらわれなければ

今経験していることを新しいものとして

受け入れられるってことだから。

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2011年10月21日 (金)

Thank you!/ありがとう!

"If the only prayer you said in your whole life was, "Thank You", that would suffice." Meister Eckhart

自分の人生の中で唱えた祈りの言葉が、たとえ“ありがとう”だけだったとしても、それで十分である。- マイスター・エックハルト

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2011年10月19日 (水)

NEW: PJ consultations and Coaching service by Skype/スカイプによる新・PJコンサルテーションとコーチング

Violette

Since beginning of October I am able to offer a Consultation and Coaching service with worldwide access.

I thought it could be interesting for the persons who used to come to my sessions and my workshops in Japan.

The payment of the sessions is done in advance through the Paypal account of my New Office then the meeting is set through Skype. The system allows to talk in real time face to face which is perfect for the type of consultations I am giving.

If you are interested in using this new service, please contact me at info@patricejulien.com

10月初めから、世界中の皆さんにコンサルテーションとコーチングのサービスを提供することが可能になります。

日本で僕のワークショップやセッションに来ていただいていた方たちには、きっと興味を持っていただけるんじゃないかなと思っていました。

セッションは、新しいオフィスのPaypalの口座を通して、先に料金をお支払いいただいき、それからスカイプで行います。これだと、顔を見てリアルタイムで話すことができるので、僕が行うコンサルテーションには最適です。

この新しいサービスにご興味のある方はinfo@patricejulien.comまでご連絡ください。

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2010年6月29日 (火)

Always free.../いつも自由…

What we call "People",
What we call "Places",
What we call "Things"
are only moments of LIFE,
not OUR LIFE,
just LIFE,
infinite,
mysterious.
People, places, things,...
all move,
come,
then go away...
I keep my hands open,
everything goes,
everything flows
like grains of sands
between my fingers.
Water stays always free
shapeless...

僕たちが"人々"と呼ぶもの
"場所”と呼ぶもの
"モノ”と呼ぶもの
これらはライフの一コマにすぎない
僕たちの人生じゃなく
無限で、
ミステリアスな
ライフのこと

人々、場所、モノ、
すべては動き
やってきては
いなくなる…
僕は自分の手を自由にし続けよう
すべての物が行き
すべての物が流れる
僕の指の合間からから
こぼれていく砂粒のように

水は常に形を持たず
ずっとずっと自由

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2010年4月29日 (木)

Let Go!

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2010年4月 9日 (金)

"Is that so?"/ああ、そうか

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The Zen Master Hakuin (1686-1769) travelled extensively to learn from other masters. When he was 32 years old, he returned to the Shoin-ji, the temple in his home town of Hara, in present-day Shizuoka Prefecture. Here he devoted himself to teaching a growing number of disciples. Hakuin was praised by his neighbors as a teacher living an exemplary life.
A beautiful Japanese girl whose parents owned a food store lived near him. One day without warning, her parents discovered that she was pregnant.
This made her parents angry. The girl would not confess who the man was, but after much harassment, she named Hakuin as the father.
In great anger the parents went to the Zen Master and scolded him in front of all his students. All Hakuin would say was “Is that so?”
After the baby boy was born, it was entrusted to Hakuin's care. By this time he had lost his reputation. His disciples have left him. However Hakuin was not disturbed, and enjoyed taking care of the little boy. He obtained milk and other essentials the boy needed from his neighbors.
A year later, the girl-mother couldn't stand it any longer. She confessed the truth to her parents— that the real father of the boy was not Hakuin but a young man working in the local fishmarket.
The father and mother of the girl went to Hakuin at once. They asked his forgiveness and apologized profusely to get the boy back.
Although Hakuin loved the child as his own, he was willing. In giving up the boy, all he said was: “Is that so?”

— Edited from Paul Reps, Zen Flesh, Zen Bones (1957), p. 22

白隠禅師(1686-1769)は、他の師匠さんたちから学ぶためずっと旅をしていたそうな。32歳の時、彼の故郷である、現在の静岡県原町にある松蔭寺へ戻りました。そこで多くの弟子たちを育て、教えることに専念し、白隠は理想の師として近所の人たちから崇められました。

彼のご近所に、食料品店を営む両親の美しい娘が住んでおりました。ある日、彼女の両親は娘が妊娠していることに気づき、たいそう腹をたてました。娘は誰が父親か口を閉ざしておりましたが、さんざん追いつめられ、ついに白隠が父親だと申したのです。

怒った両親は、禅師のところへ行き、たくさんの弟子の前で怒鳴りつけたました。しかし白隠が申しましたのは、ただ「ああ、そうか」

男の赤ちゃんが生まれた後、白隠が面倒をみることになりました。彼はすっかり評判を落とし、弟子達はみんな去って行きました。しかし白隠はそんなことに気を留める風でもなく、小さな男の子を楽しそうに育てました。ミルクは必要なものは近所から調達しました。

1年後、男の子の母親である少女は耐えきれなくなり、両親に本当のことを打ち明けました。本当の父親は白隠ではなく、地元の魚市場で働く少年だと。

少女の両親は再び白隠を訪れ、許しを乞い、男の子を返してもらえるよう心から謝りました。白隠はその子を自分の子として大切にしていましたが、喜んで、赤ちゃんを手放したのです。彼が申しましたのは、ただ「ああ、そうか」

ーZen Flesh, Zen Bones (1957)より抜粋

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2010年4月 8日 (木)

Hold no opinions/異議を唱えない

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"If you want to know the truth,
then hold to no opinions for or against anything.
To set up what you like against what you dislike
is the disease of the mind"

Master Sosan

「真理を知りたいなら、どんなことにも異議を唱えないことだ。気に食わないことを自分の思い通りにしようとすること、それは心の病気なのだ。」

鑑智僧燦

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